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労働生産性が低く、残業も多いらしいロシアの労働現場

今に始まったことではありませんが、日本でも長時間労働やサービス残業や過労死や働き方改善といった労働に関する諸問題が大きく取り上げられている昨今です。別に我々日本人が働くことが特に好きと言うわけではないと思いますけれど・・・
効率に対する合理的意識の違い、勤勉な国民性、個人主義より組織主義、周りの空気を読む性向等々、いろいろ解説されますが、かつてソ連時代は労働者天国といわれたロシアでも、労働現場での長時間労働、つまり無意味な残業と労働生産性の低さの関係が問題視され始めているようです。
前回に引き続き、これも政府系の7月12日付ロシア新聞に載っていた記事です。

「なぜ労働時間は長くなっているのに、生産性は落ちているのか。
ロシア国民の3分の1は常に残業している、と様々な州で労働者の調査を行ったロシア労働省は報告している。ロシア政府付属の分析センターも独自の調査を行ったが、我が国の労働生産性の伸び率は他の国々よりも相当低いことが判明した。それならば、何だって我々は正規の労働時間以上に職場に居残っているのか?
世界平均の指数より我が国の労働生産性は27%低く、欧州諸国よりは81%も低い。
ロシア新聞の専門家たちが行ったアンケートによれば、旧式の設備や生産技術のみに問題があるわけではない。有能な管理者が不足している点にも問題があるのである。
『確かに、ロシアの労働者たちはドイツやフランスやスペインやスイスの労働者たちよりも、20%から25%長く残業している』とロシア連邦大統領府付属の国民経済及び国務ロシアアカデミーのアレクサンドル・サフォノフ副学長は認めた。『これはロシア労働省だけではなく、国際諸機関のデータでもある。私の見るところ、その大きな要因は、極めて低い管理体質に潜んでいると思う。なぜかわが国では、法律や労働契約で決められている時間を超過して残業しない者は、怠け者で悪い労働者だということになっている。実際には決してそうではない。残業するということは、その労働者自身が自分の労働プロセスをきちんと組み立てられていない、あるいはその上司にそうする能力がない、ということなのある』
低い労働生産性に影響しているもう一つの大きなファクターは、計算が下手であるということだ、とサフォノフ氏は言う。『世界を見渡せば、在庫サービスはもはや止めている。例えば、世界各国で生産しているコンツェルン<フォルックスワーゲン>の仕事ぶりはどうか? 原則として、部品はコンベヤ的な連携システムである。組み立てのためにその部品をコンベヤに載せるべきまさにその期日に合わせて補充されるシステムだ。しかるに我が国の生産者たちは補充部品をまず倉庫に保存し、それから発注し、それからたばこをくゆらせながらのんびりと、その部品が運ばれてくるまで待っているのである。時間は無駄に過ぎていく。しかもそれは労働時間だ。労働者たちは、その時間に対して報酬を受けている』
ロシアの労働者はドイツやフランスやスペインの労働者より20%~25%長く残業している。
慢性的に低い労働生産性は、経済成長の視点からも、国民生活の質の向上の視点からも、危険である、と分析センターの調査は報告している。唯一<ポジティブ>な結果と見なされるのは低い失業率だろうが、これもまた様々な問題をはらんでいる。
分析センターの専門家たちは、ロシアの労働生産性の低さに悪影響を及ぼしているファクターと原因の中で、使い古して劣化した生産設備やインフラ、時代遅れの情報技術の存在も強調している。同センターのデータによると、ロシアの企業の80%が、どこも金を貸してくれないからという理由でモデルチェンジできないでいる。国の支援プログラムも極めて不十分である。
工場長たちはただ<手をこまねいて>、好きなやり方で企業を<消耗させよう>としている。なるようにしかならないさ、と。株式全部を他に渡した後、残額で売却するか、月並みに倒産するか。彼らの多くは、もし生産が国にとって必要ならば、国の<翼>の下に保護してくれるだろう、とも期待している。500人の企業主および企業幹部らを対象に産業発展モニタリングセンターが行った調査データによると、余剰利益をまず労働生産性に振り向ける用意があると回答したのはわずかに14%だった。我が国の管理者意識はその程度なのである。
『高い労働生産性は、イノベーション生産の高い発展レベルがあってこそ可能である』と経済大学労働研究センターのロスチスラフ・カペリュシュニコフ所長は補足する。『我が国のイノベーションは未発達状態にある。これはあまりに高くつき、危険で、不利益だ。これは大きなリスクなのである』
新薬と新断熱材が古い製品よりもはるかに優れていることを証明して流通させるには、リスクを怖れない不屈の人材が必要である、と同氏は考える。証明するか、倒産するか。資金を借りなければ生産に着手することはできないので、企業家たちは二の足を踏む。投資が戻ってこない可能性はあまりにも大きい。誰も自分の資産をリスクにさらしたくはないからだ。
一方、ロシア労働省のアンケート調査で、一度も残業したことがないと回答したのは約10%に過ぎなかった。専門家たちが挙げる処方箋は、概してよく知られているものだ:税金と金利を下げて、審査の数を減らし、戦略的に重要な企業には実質的な国家補償を与える等々。
『日本では前世紀50年代に、実質ゼロ金利の国家貸し付けを自動車産業に与える施策が取られ始めた』と前出のアレクサンドル・サフォノフ副学長はロシア新聞のインタビューで強調した。『その結果トヨタは世界市場に進出し、自動車販売数では依然として首位を保っている。しかも、この数十年間にわたって、日本車は欧州車に比べて平均30%も価格が低いのである』
ロシア労働省のポルタル<ロシアの職場>は『「あなたは残業していますか?』というアンケート調査を行った、と同省のサイトが伝えている。
32%が常に残業していると回答し、30%が稀に(月に1,2回)残業すると回答、28%がたびたび(週に1,2回)残業すると回答、一度も残業したことがない、と回答したのはわずか10%だった。
そのうえ、必ずしもすべての雇い主が残業代を支払っているわけではなかった。回答者のほぼ60%が残業代は支払われていないと回答している。その一方で40%以上が、残業の時給を2倍にしてくれるならば、残業してもいい、としている。
残業手当の規則については労働法152条に記してある、と労働省は言う。最初の2時間についえは1,5倍、その後の残業時間については少なくとも2倍の時給が支払われることになっているはずである。労働者の希望によって、残業は時間給を上げる代わりに、少なくとも残業時間分の休暇時間で補うこともできる。雇い主がこうした要求に応じなかった場合、労働者には自身の権利を国家労働監督局に訴える権利がある。」

何事につけ、マネージメントは大事ですね。これ、実感です。
いかんせん、ロシア人が全般として苦手とするところですが・・・

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無明寺

真善美の探究【真善美育維】

【真理と自然観】

《真理》
結論から言って, 真偽は人様々ではない。これは誰一人抗うことの出来ない真理によって保たれる。
“ある時, 何の脈絡もなく私は次のように友人に尋ねた。歪みなき真理は何処にあるのかと。すると友人は, 何の躊躇もなく私の背後を指差したのである。”
私の背後には『空』があった。空とは雲が浮かぶ空ではないし, 単純にからっぽという意味でもない。私という意識, 世界という感覚そのものの原因のことである。この時, 我々は『空・から』という言葉によって人様々な真偽を超えた歪みなき真実を把握したのである。


我々の世界は質感。
また質感の変化からその裏側に真の形があることを理解した。そして我々はこの世界の何処にも居ない。この世界・感覚・魂(志向性の作用した然としてある意識)の納められた躰, この意識の裏側の機構こそが我々の真の姿であると気付いたのである。


《志向性》
目的は何らかの経験により得た感覚を何らかの手段をもって再び具現すること。感覚的目的地と経路, それを具現する手段を合わせた感覚の再具現という方向。志向性とは或感覚を具現する場合の方向付けとなる原因・因子が具現する能力と可能性を与える機構, 手段によって, 再具現可能性という方向性を得たものである。
『意識中の対象の変化によって複数の志向性が観測されるということは, 表象下に複数の因子が存在するということである。』
『因子は経験により蓄積され, 記憶の記録機構の確立された時点を起源として意識に影響を及ぼして来た。(志向性の作用)』
我々の志向は再具現の機構としての躰に対応し, 再具現可能性を持つことが可能な場合にのみこれを因子と呼ぶ。躰に対応しなくなった志向は機構の変化とともに廃れた因子である。志向が躰に対応している場合でもその具現の条件となる感覚的対象がない場合これを生じない。但し意識を介さず機構(思考の「考, 判断」に関する部分)に直接作用する物が存在する可能性がある。


《思考》
『思考は表象である思と判断機構の象である考(理性)の部分により象造られている。』
思考〔分解〕→思(表象), 考(判断機能)
『考えていても表面にそれが現れるとは限らない。→思考の領域は考の領域に含まれている。思考<考』
『言葉は思考の領域に対応しなければ意味がない。→言葉で表すことが出来るのは思考可能な領域のみである。』
考, 判断(理性)の機能によって複数の中から具現可能な志向が選択される。


《生命観》
『感覚器官があり連続して意識があるだけでは生命であるとは言えない。』
『再具現性を与える機構としての己と具現を方向付ける志向としての自。この双方の発展こそ生命の本質である。』

生命は過去の意識の有り様を何らかの形(物)として保存する記録機構を持ち, これにより生じた創造因を具現する手段としての肉体・機構を同時に持つ。
生命は志向性・再具現可能性を持つ存在である。意識の有り様が記録され具現する繰り返しの中で新しいものに志向が代わり, その志向が作用して具現機構としての肉体に変化を生じる。この為, 廃れる志向が生じる。

*己と自の発展
己は具現機構としての躰。自は記録としてある因子・志向。
己と自の発展とは, 躰(機構)と志向の相互発展である。志向性が作用した然としてある意識から新しい志向が生み出され, その志向が具現機構である肉体に作用して意識に影響を及ぼす。生命は然の理に屈する存在ではなくその志向により肉体を変化させ, 然としてある意識, 世界を変革する存在である。
『志向(作用)→肉体・機構』


然の理・然性
自己, 志向性を除く諸法則。志向性を加えて自然法則になる。
然の理・然性(第1法則)
然性→志向性(第2法則)


【世界創造の真実】
世界が存在するという認識があるとき, 認識している主体として自分の存在を認識する。だから自我は客体認識の反射作用としてある。これは逆ではない。しかし人々はしばしばこれを逆に錯覚する。すなわち自分がまずあってそれが世界を認識しているのだと。なおかつ自身が存在しているという認識についてそれを懐疑することはなく無条件に肯定する。これは神と人に共通する倒錯でもある。それゆえ彼らは永遠に惑う存在, 決して全知足りえぬ存在と呼ばれる。
しかし実際には自分は世界の切り離し難い一部分としてある。だから本来これを別々のものとみなすことはありえない。いや, そもそも認識するべき主体としての自分と, 認識されるべき客体としての世界が区分されていないのに, 何者がいかなる世界を認識しうるだろう?
言葉は名前をつけることで世界を便宜的に区分し, 分節することができる。あれは空, それは山, これは自分。しかして空というものはない。空と名付けられた特徴の類似した集合がある。山というものはない。山と名付けられた類似した特徴の集合がある。自分というものはない。自分と名付けられ, 名付けられたそれに自身が存在するという錯覚が生じるだけのことである。
これらはすべて同じものが言葉によって切り離され分節されることで互いを別別のものとみなしうる認識の状態に置かれているだけのことである。
例えて言えば, それは鏡に自らの姿を写した者が鏡に写った鏡像を世界という存在だと信じこむに等しい。それゆえ言葉は, 自我と世界の境界を仮初に立て分ける鏡に例えられる。そして鏡を通じて世界を認識している我々が, その世界が私たちの生命そのものの象であるという理解に至ることは難い。鏡を見つめる自身と鏡の中の象が別々のものではなく, 同じものなのだという認識に至ることはほとんど起きない。なぜなら私たちは鏡の存在に自覚なくただ目の前にある象を見つめる者だからである。
そのように私たちは, 言葉の存在に無自覚なのである。言葉によって名付けられた何かに自身とは別の存在性を錯覚し続け, その錯覚に基づいて自我を盲信し続ける。だから言葉によって名前を付けられるものは全て存在しているはずだと考える。
愛, 善, 白, 憎しみ, 悪, 黒。そんなものはどこにも存在していない。神, 霊, 悪魔, 人。そのような名称に対応する実在はない。それらはただ言葉としてだけあるもの, 言葉によって仮初に存在を錯覚しうるだけのもの。私たちの認識表象作用の上でのみ存在を語りうるものでしかない。
私たちの認識は, 本来唯一不二の存在である世界に対しこうした言葉の上で無限の区別分割を行い, 逆に存在しないものに名称を与えることで存在しているとされるものとの境界を打ち壊し, よって完全に倒錯した世界観を創り上げる。これこそが神の世界創造の真実である。
しかし真実は, 根源的無知に伴う妄想ゆえに生じている, 完全に誤てる認識であるに過ぎない。だから万物の創造者に対してはこう言ってやるだけで十分である。
「お前が世界を創造したのなら, 何者がお前を創造した?」
同様に同じ根源的無知を抱える人間, すなわち自分自身に向かってこのように問わねばならない。
「お前が世界を認識出来るというなら, 何者がお前を認識しているのか?」
神が誰によっても創られていないのなら, 世界もまた神に拠って創られたものではなく, 互いに創られたものでないなら, これは別のものではなく同じものであり, 各々の存在性は虚妄であるに違いない。
あなたを認識している何者かの実在を証明できないなら, あなたが世界を認識しているという証明も出来ず, 互いに認識が正しいということを証明できないなら, 互いの区分は不毛であり虚妄であり, つまり別のものではなく同じものなのであり, であるならいかなる認識にも根源的真実はなく, ただ世界の一切が分かちがたく不二なのであろうという推論のみをなしうる。


【真善美】
真は空(真の形・物)と質(不可分の質, 側面・性質), 然性(第1法則)と志向性(第2法則)の理解により齎される。真理と自然を理解することにより言葉を通じて様々なものの存在可能性を理解し, その様々な原因との関わりの中で積極的に新たな志向性を獲得してゆく生命の在り方。真の在り方であり, 自己の発展とその理解。

善は社会性である。直生命(個別性), 対生命(人間性), 従生命(組織性)により構成される。三命其々には欠点がある。直にはぶつかり合う対立。対には干渉のし難さから来る閉塞。従には自分の世を存続しようとする為の硬直化。これら三命が同時に認識上に有ることにより互いが欠点を補う。
△→対・人間性→(尊重)→直・個別性→(牽引)→従・組織性→(進展)→△(前に戻る)
千差万別。命あるゆえの傷みを理解し各々の在り方を尊重して独悪を克服し, 尊重から来る自己の閉塞を理解して組織(なすべき方向)に従いこれを克服する。個は組織の頂点に驕り執着することはなく状況によっては退き, 適した人間に委せて硬直化を克服する。生命理想を貫徹する生命の在り方。

美は活活とした生命の在り方。
『認識するべき主体としての自分と, 認識されるべき客体としての世界が区分されていないのに, 何者がいかなる世界を認識しうるだろう? 』
予知の悪魔(完全な認識をもった生命)を否定して認識の曖昧さを認め, それを物事が決定する一要素と捉えることで志向の自由の幅を広げる。予知の悪魔に囚われて自分の願望を諦めることはなく認識と相互作用してこれを成し遂げようとする生命の在り方。


《抑止力, 育維》
【育】とは或技能に於て仲間を自分たちと同じ程度にまで育成する, またはその技能的な程度の差を縮める為の決まり等を作り集団に於て一体感を持たせること。育はたんなる技能的な生育ではなく万人が優秀劣等という概念, 価値を乗り越え, また技能の差を克服し, 個人の社会参加による多面的共感を通じて人間的対等を認め合うこと。すなわち愛育である。

【維】とは生存維持。優れた個の犠牲が組織の発展に必要だからといっても, その人が生を繋いで行かなければ社会の体制自体が維持できない。移籍や移民ではその集団のもつ固有の理念が守られないからである。組織に於て使用価値のある個を酷使し生を磨り減らすのではなく人の生存という価値を尊重しまたその機会を与えなければならない。

真善美は生命哲学を基盤とした個人の進化と生産性の向上を目的としたが, 育と維はその最大の矛盾たる弱者を救済することを最高の目的とする。
by 無明寺 (2017-08-03 04:47) 

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